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主語を変えてみる

千葉県の公立高校入試では、国語の中で作文が出題されます(配点12点)。また二日目の検査では作文を課す人気校が増えてきました(例えば、県船・東葛・小金・柏南など)。


子どもたちの作文を見ていると「僕は」「私は」と書いてから内容を考える、そんな子が少なくありません。

例えば…

僕はお父さんと電車で秋葉原に行きました。

僕はお父さんとパスタを食べました。僕はおいしかったです。

僕はゲームを買いました。僕はまた来たいです。僕は楽しかったです。

といった感じ。「幼稚園児の絵日記かよ!」という作文を中学生が無邪気に書いたりします。

多くの受験生が「僕は」「私は」を主語にして書き出すので、良い作文を書きたかったら、この「僕は…病」を克服しないといけません。そこでコツを少しだけお教えします。


文章を上手に見せるコツは「主語を変えてみる」こと。特に書き出しです。

例文「僕はお父さんと電車で秋葉原に行きました。」

このように書き出したとします。

上の文章には「僕」以外に「お父さん・電車・秋葉原」の名詞があります。これらを主語に変えて書き直してみましょう。それをベースに少しアレンジしてみます。

①「お父さん」を主語(お父さんよりは父の方が良い)

・父は私を秋葉原に連れて行ってくれた。

→その日父は、受験勉強に疲れた私を秋葉原に誘った。夏を迎えた秋葉原は日差しが強く、私の弱い心をあぶり出しているようだった。

②「電車」を主語

電車は父と私を乗せて秋葉原に向かった。

→ホームに静かに滑り込んできた電車は、父と私を乗せて秋葉原に向かって動き出した。父と二人で出かけるのは、久しぶりだったし、この前のことがあったから少しだけ緊張もしていた。

③「秋葉原」を主語

秋葉原は電車を降りた父と私を迎え入れた。

→秋葉原は父と私を優しく迎え入れた。つくばエクスプレスは秋葉原駅に向かって暗闇の中に吸い込まれていくが、その暗闇ではいつもオタクたちの欲望が跋扈している。


どうでしょう、主語を変えるだけで変わりませんか?

「僕は中学校生活でサッカーを頑張りました。」

となると読み手も「またか…」と思ってしまいます。

「ガッシャ―ン、僕の蹴ったサッカーボールは無回転で綺麗な弧を描き校長室のガラスを貫いた。」

と書き出したほうが作文の全体的なトーンも変わります。

余計な「僕は…」を削り、「僕は…病」を治すだけで作文の実力が上がります。

簡単ですから、ぜひ試してみてください。

原稿用紙

最後に、私が学生時代によく読んだ蓮實重彦氏の文章をご紹介します。アルコール度数が高く香りの強いアブサンのような、それでいてすごく癖になる(中毒性のある)文章です。

『表層批評宣言』から

「首筋から肩へとかけて背後から寡黙に注がれていたはずの親しい視線のぬくもりが不意に途絶えてしまったり、目をつむったままでも細部を克明に再現できるほど見馴れていたあたりの風景にいきなり亀裂が走りぬけ、幾重にも交錯しながら数をますその亀裂が汚点のように醜く視界を乱してしまったり、肌身はなさず持ち歩いていたはずのものが突然嘘のように姿を消し、その行方をたどる手がかりもつかめぬばかりか、それを身近に感じていた自分の過去までが奇妙に遠くよそよそしい存在に思われてきたり、足もとの地盤がいつのまにか綿かなんぞのように頼りなげな柔らかさへと変容し、しかも鳥もちさながらに粘っこく肢体にまつわりついて進もうとする意志を嘲笑しはじめたり、あるいはまた、ことさら声を低めたわけでもないのに親しい人の言葉がうまく聞きとれず、余裕ありげに微笑する相手の口から洩れる無意味な音のつらなりを呆然としてうけとめるだけで、いったんは何か悪い冗談だろうと高を括ったもののいつしかそんな事態が日常化してしまうといった体験をしいられたりすると、人は、何かが自分から不当に奪われた、誰もが何のためらいもなく信じていた秩序が崩れ落ちてしまった、そんなことが起こってはならないはずだと思い、こちらは何も悪いことはしていないのに、向うからしのび寄って来た邪悪なる意志が、この崩壊を、この喪失をあたりに波及させたのだと無理にも信じこむことで、そのとり乱したさまを何とかとりつくろおうとする。」

2022年03月02日