塾長ブログ

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東大合格おめでとう!

星和塾の卒業生である山口君が日本の最難関東京大学に合格しました。

小4で星和塾に入塾。牧野原中時代は星和塾での指導をとても良く理解し3年間ほぼ毎回学年トップ。生徒会長を務め、卓球部では部長(県大会にも出場)とまさに文武両道。勉強だけではなく人格的にも優れた彼が日本の最高学府に合格したことは星和塾の誇りです。私立の慶応と早稲田にも合格。

コロナ禍の中よく頑張りました。おめでとう! 感動した!

小学生の頃から、教室でよく自習をしていた姿が強く印象に残っています。集中力があって負けず嫌いで素直な子でした。責任感があり、ご両親の躾の良さを感じさせる礼儀正しい子でもありました。

星和塾は勉強だけではなく、目標に向かう姿勢など、精神的な面でも生徒を支え続けます。学歴や偏差値だけではなく、教育の最終目標は人間的なトータルパッケージです。

塾ごっこ・勉強ごっこ、ではない「真の指導」を目指し、彼のような素晴らしい人材をこれからも輩出していくため、粉骨砕身の覚悟で星和塾は歩んでまいります。


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安田講堂

牧野原中

2022年03月30日

受験は“真剣勝負”である

松下幸之助『道をひらく』から

剣道で、面に小手、胴を着けて竹刀で試合をしている間はいくら真剣にやっているようでも、まだまだ心に隙がある。
打たれても死なないし、血も出ないからである。
しかしこれが木刀で試合するとなればいささか緊張せざるを得ない。
打たれれば気絶もするし、怪我もする。死ぬこともある。
まして真剣勝負ともなれば、一閃が直ちに生命にかかわる。
勝つこともあればまた負けることもあるなどと呑気なことをいっていられない。
勝つか負けるかのどちらか一つ。
負ければ生命がとぶ。
真剣になるとはこんな姿をいうのである。

人生は真剣勝負である。
だからどんな小さな事にでも生命をかけて真剣にやらなければならない。
もちろん窮屈になる必要はすこしもない。
しかし、 長い人生ときには失敗することもあるなどと呑気にかまえていられない。
これは失敗したときの慰めのことばで、はじめからこんな気持ちでいいわけがない。

真剣になるかならないかその度合いによってその人の人生はきまる。


いよいよ新年度。

誰のためでもなく、自分のために。

真剣に、頑張りましょう!

2022年03月24日

受験を終えて…

千葉県公立高校の受験が終了しました。

今年度の星和塾は私立・公立とも一人の不合格者も出すことなく合格率100%で受験を終えることができました。

また星和塾の卒業生であるY君(牧野原中出身)がなんと東京大学理科二類に合格したという嬉しいニュースも入ってきて、塾生を含め全員が第一志望合格で受験を終えることができました。

受験が終わると私は少し良いシングル・モルトの封を切ります。BGMはコルトレーンの『Everytime We Say Goodbye』。CMで有名な『My Favorite Things』よりこちらのほうが好きで、卒業生を送り出す時にいつもこの曲を聴きたくなります。“Ev’ry Time We Say Goodbye…”

みんなホントにコロナ禍の中よく頑張りました。頑張ったみんな自身の力と親御さんの協力があって成し遂げられた結果です。

でも、これはゴールではありません。合格は一つの通過点です。

「合格」以上に大切なことは「受験を通して努力することの大切さを知り、人間として成長できたのか?」です。成功には一発の成功と、一生の成功があります。合格は一発の成功に過ぎません。現状に甘んじることなく、一つのことが終わった瞬間、明日のこと、次のことを見据え、向上心を持って過ごしていってください。

卒業していった塾生も、今在籍しているみんなも、私の、星和塾の大切な「仲間」です。仲間たちが次のステージでも成功することをいつも願っています。

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2022年03月10日

主語を変えてみる

千葉県の公立高校入試では、国語の中で作文が出題されます(配点12点)。また二日目の検査では作文を課す人気校が増えてきました(例えば、県船・東葛・小金・柏南など)。


子どもたちの作文を見ていると「僕は」「私は」と書いてから内容を考える、そんな子が少なくありません。

例えば…

僕はお父さんと電車で秋葉原に行きました。

僕はお父さんとパスタを食べました。僕はおいしかったです。

僕はゲームを買いました。僕はまた来たいです。僕は楽しかったです。

といった感じ。「幼稚園児の絵日記かよ!」という作文を中学生が無邪気に書いたりします。

多くの受験生が「僕は」「私は」を主語にして書き出すので、良い作文を書きたかったら、この「僕は…病」を克服しないといけません。そこでコツを少しだけお教えします。


文章を上手に見せるコツは「主語を変えてみる」こと。特に書き出しです。

例文「僕はお父さんと電車で秋葉原に行きました。」

このように書き出したとします。

上の文章には「僕」以外に「お父さん・電車・秋葉原」の名詞があります。これらを主語に変えて書き直してみましょう。それをベースに少しアレンジしてみます。

①「お父さん」を主語(お父さんよりは父の方が良い)

・父は私を秋葉原に連れて行ってくれた。

→その日父は、受験勉強に疲れた私を秋葉原に誘った。夏を迎えた秋葉原は日差しが強く、私の弱い心をあぶり出しているようだった。

②「電車」を主語

電車は父と私を乗せて秋葉原に向かった。

→ホームに静かに滑り込んできた電車は、父と私を乗せて秋葉原に向かって動き出した。父と二人で出かけるのは、久しぶりだったし、この前のことがあったから少しだけ緊張もしていた。

③「秋葉原」を主語

秋葉原は電車を降りた父と私を迎え入れた。

→秋葉原は父と私を優しく迎え入れた。つくばエクスプレスは秋葉原駅に向かって暗闇の中に吸い込まれていくが、その暗闇ではいつもオタクたちの欲望が跋扈している。


どうでしょう、主語を変えるだけで変わりませんか?

「僕は中学校生活でサッカーを頑張りました。」

となると読み手も「またか…」と思ってしまいます。

「ガッシャ―ン、僕の蹴ったサッカーボールは無回転で綺麗な弧を描き校長室のガラスを貫いた。」

と書き出したほうが作文の全体的なトーンも変わります。

余計な「僕は…」を削り、「僕は…病」を治すだけで作文の実力が上がります。

簡単ですから、ぜひ試してみてください。

原稿用紙

最後に、私が学生時代によく読んだ蓮實重彦氏の文章をご紹介します。アルコール度数が高く香りの強いアブサンのような、それでいてすごく癖になる(中毒性のある)文章です。

『表層批評宣言』から

「首筋から肩へとかけて背後から寡黙に注がれていたはずの親しい視線のぬくもりが不意に途絶えてしまったり、目をつむったままでも細部を克明に再現できるほど見馴れていたあたりの風景にいきなり亀裂が走りぬけ、幾重にも交錯しながら数をますその亀裂が汚点のように醜く視界を乱してしまったり、肌身はなさず持ち歩いていたはずのものが突然嘘のように姿を消し、その行方をたどる手がかりもつかめぬばかりか、それを身近に感じていた自分の過去までが奇妙に遠くよそよそしい存在に思われてきたり、足もとの地盤がいつのまにか綿かなんぞのように頼りなげな柔らかさへと変容し、しかも鳥もちさながらに粘っこく肢体にまつわりついて進もうとする意志を嘲笑しはじめたり、あるいはまた、ことさら声を低めたわけでもないのに親しい人の言葉がうまく聞きとれず、余裕ありげに微笑する相手の口から洩れる無意味な音のつらなりを呆然としてうけとめるだけで、いったんは何か悪い冗談だろうと高を括ったもののいつしかそんな事態が日常化してしまうといった体験をしいられたりすると、人は、何かが自分から不当に奪われた、誰もが何のためらいもなく信じていた秩序が崩れ落ちてしまった、そんなことが起こってはならないはずだと思い、こちらは何も悪いことはしていないのに、向うからしのび寄って来た邪悪なる意志が、この崩壊を、この喪失をあたりに波及させたのだと無理にも信じこむことで、そのとり乱したさまを何とかとりつくろおうとする。」

2022年03月02日