塾長ブログ

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冬期講習

冬期講習もスタートから1週間。

あっという間に時は過ぎ去ります。

千葉県公立高校前期選抜まで残り45日。

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大変だけど、これを乗り越えるんだ受験生!

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小学生も頑張ってる!授業時間は80分。

集中が途切れることなく問題に取り組んでいます。話を聞く姿勢、取り組み方、とても良くなってきたよ。

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真剣に講師の話に聞き入っています。理科の授業。

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映像を使い、これまでの復習。

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この冬も頑張ってるね。どこまで行くのか楽しみだ。

2016年12月29日

ベートーヴェン 交響曲第9番

師走。年末になるとテレビや街のいろんなところから「第九」のメロディーが聞こえてきます。

ベートーヴェンの最後の交響曲。交響曲第9番ニ短調。

日本で年末に第九が演奏されるようになったのは、戦後間もない頃。オーケストラ団員の収入が少なく、年末年始の生活に困る状況を改善するためだったといわれています。第4楽章には合唱も入るため、合唱団員の家族もチケットを買ってくれて集客しやすい、というメリットもありました。

敗戦のドイツで、1951年、伝説といわれるフルトヴェングラーの第九によってバイロイト音楽祭は再開されました。1989年、冷戦の象徴であるベルリンの壁が崩壊した直後のクリスマス、第4楽章の”Freude(歓喜)”を、あえて”Freiheit(自由)”に替えて歌われた、レナード・バーンスタインと東西混成オーケストラの演奏。ヨーロッパでは特別な時に特別な曲として演奏されることが多く、名演奏、そして録音された名盤は枚挙にいとまがありません。

我が国では「年末の餅代稼ぎ」などと揶揄されることもある第九…しかし私は「苦悩から歓喜へ」「混沌から生成へ」というベートーヴェン的スローガンが、「今年もいろいろあったけど、来年もひとつ頑張りましょう!」という日本人の考えにマッチしていい習慣だと思います。

フィッシャー・ディースカウが歌うフェレンツ・フリッチャイ指揮ベルリン・フィルの録音(グラモフォン)に後ろ髪をひかれつつも、最初に指折るべき名盤はフルトヴェングラー指揮バイロイト祝祭オーケストラ(1951年)の録音。

この「バイロイトの第九」は世評が高く、「世紀の名演」「空前絶後の演奏」と形容されています。クラシックが再現芸術である以上、「空前」はあっても「絶後」とは言い切れないのではないか…でも終戦からの復興という特殊な状況を考えると、これ以上の感動を与える演奏は今後永遠に起こり得ない、そんな気もしてきます。

今年の牧野原中1年生の冬休みの課題に「年末年始の風物詩、ベートーヴェンの第九に触れる機会を設けて、心豊かに新年を迎えてください」というのがありました。ぜひ、録音で聞くならフルトヴェングラーを。他のは聴けなくなるかも…(そんな中1いるのか?)

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2016年12月24日

いよいよ冬期講習!

今週、23日から冬期講習がスタートします。

学校も休みに入り、楽しいイベントも多い季節。遊びたい気分になりがちですが、

塾生からは

「いつも受講していない国語やりたい!特に文法」

(そうだよね。文法難しいけど、コツをつかめば簡単だ。だっていつも使ってる言葉だから。俺に任せろ)

「先生、今からでも理科の授業回数増やせますか?」

(いい心がけだ、最後は理社だよ。理社が出来ないからって私立単願みたいな逃げはしたくないよね)

といった、やる気に溢れた嬉しい相談を受けます。

もちろんまだ大丈夫です。(でも今週いっぱいまでかな…)

 

1月の漢検に備えて頑張っている生徒、小学生でも英語の重要性を感じ授業を増やす生徒…

生徒がやる気だと本当にワクワクします。困難なことから逃げずに頑張る子供の瞳ってキラキラしています。

今年は牧中の定期テストのトップ5に2名が入りました。もちろんそれ以外にも偏差値が15も上がった生徒、定期テストで40点から80点台にアップした生徒、中2で漢検2級に合格した生徒。勉強だけではなく、生徒会長や部活動の部長に一生懸命な生徒。いろんな生徒の頑張りが感じられる1年でした。

それぞれの生徒が、自分なりに今年を総括し、来年がより良い1年になることを願ってます。

体調に気を付けて俺も頑張るぞ!

2016年12月20日

新宮と中上健次

明け方になって急に家の裏口から夏芙蓉の甘いにおいが入り込んで来たので息苦しく、まるで花のにおいに息をとめられるように思ってオリュウノオバは眼をさまし、仏壇の横にしつらえた台に乗せた夫の礼如さんの額に入った写真が微かに白く闇の中に浮きあがっているのをみて、尊い仏様のような人だった礼如さんと夫婦だった事が有り得ない幻だったような気がした。体をよこたえたままその礼如さんの写真を見て手を組んでオリュウノオバは「おおきに、有難うございます」と声にならない声でつぶやき、あらためて家に入ってくる夏芙蓉のにおいをかぎ、自分にも夏芙蓉のような白粉のにおいを立てていた若い時分があったのだと思って一人微笑んだ。 中上健次『千年の愉楽』「半蔵の鳥」


学生だった頃、大学の長い春休みを利用して和歌山県新宮市を訪れました。金も無く、分別よりも生意気ばかりが勝っていた約二十年前。紀伊半島の先端、熊野古道よりも、大逆事件よりも、私にとっては敬愛する作家中上健次の故地という想いが強くあります。東京から夜行バスで名古屋へ。名古屋から電車を乗り継いで約六時間。まさしく『地の果て至上の時』といった感じで、新宮駅に降り立ちました。手ぶらでは失礼だろうと思い、道端で適当に摘んだ花一本を手向け中上健次のお墓の前で手を合わせました。

ちょうどその日は新宮の「御燈祭」。泊まる宿もなく、街中をぶらぶらとうろつき、開いている料理屋に入る。名物だという「めはり寿司」を頬張り、ビールを飲み干す。寿司というよりは青菜をまいただけの米の塊は、金のない学生の胃袋を満たしてくれます。

「自分、どっから来たんじゃ?」と南紀の言葉は余所者には荒く聞こえます。「中上健次のお墓参りに…」「おお、中上先生か」とビールをごちそうしてくれたおっちゃん。中上文学の魅力だけではなく、調子に乗って大石誠之助の話まで地元の方の前で偉そうにしてしまって申し訳ありませんでした。「お前は、よう勉強しとるな。帰りの電車で食え」とめはり寿司もいただきました。「さっき食べたのでいいです」とはもちろん言わずに…今でも鮮明に覚えています。その際はありがとうございました。

松明を持った男たちがものすごい勢いで駆け下りる神倉山。引き潮の時に石がぶつかり宇宙のざわめきのような音がする大浜海岸。人と海と山とがぶつかり、出会うこここそが「路地」の原風景だったのだと満足し一人微笑みました。

1992年8月、わずか46歳の若さで逝った中上の今年は生誕70年。

お薦めは『千年の愉楽』、『枯木灘』、『重力の都』でしょうか。それと『十九歳の地図』。尾崎豊がこの作品に触発されて『十七歳の地図』という曲を書いたそうです。

「少しずつ色んな意味が解りかけてるけど
決して授業で教わったことなんかじゃない
口うるさい大人達のルーズな生活に縛られても
素敵な夢を忘れやしないよ

人波の中をかきわけ 壁づたいに歩けば
すみからすみはいつくばり 強く生きなきゃと思うんだ
ちっぽけな俺の心に 空っ風が吹いてくる
歩道橋の上 振り返り 焼けつくような夕陽が
今 心の地図の上で 起こる全ての出来事を照らすよ
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何のために生きてるのか解らなくなるよ
手を差しのべて おまえを求めないさ この街
どんな生き方になるにしても
自分を捨てやしないよ」 尾崎豊『十七歳の地図』

ぜひそうあって欲しい。こちらが嫉妬するくらい、ギラギラした何かを十代の子供たちに期待したい。

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毎年2月6日に神倉神社で行われる「御燈祭」

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名物「めはり寿司」

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『千年の愉楽』

2016年12月14日

保護者面談

本日で冬の保護者面談が全て終了しました。

年末のお忙しいなか、またこちらの都合で限られた日程のなかで、保護者の皆様にはご来塾いただき、ありがとうございました。

さまざまなご意見やお言葉をお寄せいただきました。

 

保護者面談の際に気を付けていることがあります。

それはなるべく「正直になること」です。

「ダメなものはダメ」「できないことはできない」と言いますし、思っていること、感じていることはそのままストレートにお伝えします。耳触りの良い言葉で、腹の探り合いをしても、生産的ではないと思うからです。

 

親として子供のためにできること。

塾として生徒のためにできること。

 

そんな思いが共有できた有意義な時間でした。

本当にありがとうございました。

2016年12月12日

感謝

星和塾には兄弟や姉妹で入塾する生徒さんがいます。

 

「以前、上の○○がお世話になっていて、今度下の○○も中学生になって…」

「あー、○○さんですか…覚えてます」

 

これは塾としては一番嬉しい展開です。とてもありがたいことです。

(兄弟がいるから、と執拗な営業活動をするわけではありませんのでご安心を)

「すごい似てるな…」と感じたり、「全然似てないじゃん…」と感じたり、兄弟や姉妹って不思議ですね。

私にも三歳下の弟がいて(公立高校で社会の教員をしています)似ているのか似ていないのか自分ではあまりよくわかりません。共通点はF1が好きなことぐらいかな?

最近入塾された生徒さんがいて、お兄ちゃん(高3の時に指導)、お姉ちゃん(中学3年間)、そして末っ子(現在中学生)と3人、うちの塾で指導することになりました。信頼を裏切らないように、お子さんの学力、心にしっかり寄与したいと改めて思う次第です。

3人のお子様を預けていただいた親御さんにも深く感謝しています。

2016年12月03日

ブラームス 交響曲第4番

まるで溜息のように開始される第1楽章。バイオリンが奏でる第一主題が下降と上昇を繰り返し、行くあても定まらないまま停廻します。第2楽章には中世のフリギア旋法を、終楽章にはバロック時代の変奏曲形式であるシャコンヌを用いるなど、ロマン派全盛の時代にあっても、ブラームスはベートーヴェンを尊敬し、古典派形式を踏襲したため、その手法の古さに時代遅れと見られていました。

しかし一方で、初演の際にトライアングルを担当した若き日のリヒャルト・シュトラウスは、父親への手紙に「間違いなく巨人のような作品です。とてつもない楽想、そして創造力。形式の扱いや長編としての構造は、まさに天才的」と書いています。

ブラームスの交響曲はどれも大好きで、ちょうど4曲の交響曲が四季を連想させます。厳しく寒い冬から春を迎え生命が芽吹く1番、春から初夏を迎える2番、銀杏の葉が落ちた秋に似合う3番の3楽章、寒い冬の朝に吐く白い溜息のような4番の1楽章。

空気が澄んだ、肌寒い冬にこの交響曲第4番ホ短調が聴きたくなります。

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最近、愛聴しているフルトヴェングラー/ベルリンフィルの1943年の録音。今から70年以上前の録音ですが、この復刻CDは音が生々しく、冒頭のバイオリン、ただの4分音符のH音のアウフタクトが本当の溜息のように聴こえます。

2016年12月02日